母っちゃの介護(8)トキさんとK先生

母っちゃの介護(7)購入・レンタルした介護用品についての続きです~。

てが今回はあんまし続きではねーがも(^-^;

母っちゃが認知症になってから、様々な人との出会いがあり、別れがありました。
その中で印象に残ったのが「トキさん」と「K先生」でした。
他にも色々とお世話になった人達が居たんですが、
母っちゃの認知症が進んで、自分の事以外は考える余裕が無くなり、
やがて他の人が認識できなくなって、そういう人との関わり的な話は
聞く事ができなくなったので。。

トキさんは、最初にお世話になったデイサービスの利用者さんで、
母っちゃに「ちぎり絵」を教えてくれた人でした。
母っちゃより5~10歳ぐらい上ぐらいだったと思います。

母っちゃが言うには、若くして旦那さんが亡くなってからは、
病院の掃除婦をしながら娘さん二人を育て上げたんだそうです。
母っちゃが言うには「認知症ではない」との事。
普段は団地で一人暮らしされてて、
週2回ほど、デイサービスに通っていたとの事でした。

ちぎり絵に必要なピンセットやゴム糊、ウエットティッシュなどは
自前で持ってきて創作していました。
和紙の扱い方、ピンセットの扱い方から…ちぎり絵の基礎を教えてくれ、
認知症が進んでティッシュや紙を集めまくる他の利用者さんを叱り飛ばし、
若いころの苦労話を明るく語っていたトキさんを、
母っちゃは心底尊敬したようで、

「トキさんと同じ曜日にデイに行きたい!」

「トキさんが持ってるからお母も持って行く!」

「トキさんが寄付するって言ってるかたお母も寄付する!」

と、トキさんのマネばかりしたがりました(もはやメンター笑)

ちゅわこは一度、母っちゃが入院した時にデイに挨拶に行った際に、
トキさんにご挨拶したのですが、

「そうなんですか、早く良くなってくださいね」

とアッサリ言われた記憶しかないという(苦笑)

そんなトキさんですが、母っちゃが3年目の夏に、
転んで頭をぶつけて何針か縫うケガをし、
その時に嫁いた娘さん2人が駆けつけ、
久しぶりに団地で3人「川の字」で寝る事ができて嬉しかった。
と話していたそうです。

その後、母っちゃは胃の調子が悪くなって何週か休み、
久しぶりにデイに行ったら、他の利用者さん達が

「母っちゃ!トキさん亡くなったんだよ!」

と教えてくれたんだそうです。
くも膜下出血との事でした。

「血圧高がっただはんでの~。娘さん達ど寝れで嬉しかったってだのに…」

母っちゃはとても寂しそうに言っていました。。

画像は母っちゃがトキさんからいただいたキューピーのお手玉?です。
こういう小物作りが得意で、作ったものをみんなにプレゼントするのが
トキさんの楽しみのひとつだったそうでした。
すっかり薄汚れてしまいましたが…
今も捨てる事ができず、うちの仏壇の横に飾っています。


K先生は整形外科の先生で、ちゅわこが生まれる前、
母っちゃが盲学校にパートで働きに行っていた頃に、
ケガをした生徒を連れてお世話になっていたという先生でした。
母っちゃだけでなく、ちゅわこも妹も、ケガをした時は、
その先生のお世話になっていました。
子供の教育やスポーツ振興なんかの活動もされていた先生でした。
写真が趣味で、子供が好きで、人情味のある下町の先生って感じの方でした。

母っちゃが持病の変形膝関節症の他に、腰椎すべり症と診断されて、
他の整形外科に通っていたんですが、ある日背中の痛みを訴え、
そこの病院の診たてでは「つづらご(帯状疱疹)」で、
経過観察と言われたのですが、何日経っても疱疹の症状が出ず、
認知症外来受診時に話したところ、誤診というのがわかり…

母っちゃ「もうあすこの病院行きたくない」

ちゅわこ「へばどこの病院さ行ぐのよ?」

母っちゃ「K先生の病院がいい!」

で、何十年かぶりに?K先生の病院に行くことになりました。

相変わらず豪快で明るい先生で、病気の資料を大量にコピーされてて、
コピーを渡しながら母っちゃの病状を説明して下さいました。
前の病院でつづらご(帯状疱疹)と誤診されたのは、
腰椎の狭窄で背骨の中の神経が圧迫されたのが原因との事でした。
治療もいちいち説明しながら、ものすごく丁寧にしてくださってました。
神経の伝達を測るためなのか?
謎のメーターを駆使してたのがちょっと気になりましたが(;^ω^)

が…当時御年86歳ぐらいだったかな?寄る歳には勝てなかったようで…

ある時から、看護婦さんや事務員さんに支えられないと
歩けない状態になってしまいました。
「トイレに行く途中で転んだ」んだそうで…
それでも、たくさんの患者さん達が通っていて、
無理を押して治療に当たっていました。

その後、検査入院になり、休診した後に、
受付に先生直筆の「声明」が貼られてました。
確か…県病で検査したが、それほど深刻な状況ではなかったと、
近々再検査があるが、このまま終わりたくない、長生きしたい、
どうか皆様のお力をお貸しください。お助け下さい。
というような内容が書かれていました。

その後容体が悪くなったようで、一ヶ月ほど入院され、
診療再開を待って受診したのが最後でした。
K先生は、母っちゃの膝のコルセットの処方箋を書いて下さいました。

その翌週かな?デイサービスの看護師さんから

「K整形外科が閉院したんだそうで連絡しました。
他の病院の資料持たせますので、参考にして下さい。」

と連絡が来ました。
その後移った他の整形外科の先生から

「K先生、一時危篤状態だったそうだよ」

と聞きました。その時は持ち直されたようですが…
その後何年かして、新聞に訃報が載ってました。

その後、混んでたり、閉院したりで、整形は何軒か転院したな…
現在は施設に往診してもらう体制となっており
(往診制度の関係で)整形外科は受診できないとの事で休んでいます。

多分K先生みたいな先生はもう出てこないような…そんな気がします。。